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『最後の家族』   [村上龍]




          他人との出会いは、それだけで別の人生の可能性なのだ。
                                  (『最後の家族』 村上龍)


久々に引きこまれる小説を読んだ。 あくまでも個人的に惹き込まれる小説だった。
曾野綾子の『虚構の家』(1974)を発売当初に読んで、自分の家族のことだと思ったことがある。
しかし今回読んだ龍さんの作品の方が、自分の家族の問題に一部関わっていると思った。
解決はなく、出会うための、コミュニケーション能力を持つしかないのだろう。




『最後の家族』 村上龍/幻冬舎 (2001年10月10日 第1刷発行)
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ある中流一家・内山家に起こる様々な出来事を、家族4人のそれぞれの視点で描く。引きこもりやドメスティック・バイオレンスなど、現代がかかえる社会問題をこの家族をとおして、幸せとは何か、家族とは何かを問いかける。

p70
「それはどうかな。コミュニケーションというのは、要するに何かを伝えることだけど、その前提として、ひょっとしたら伝わらないかも知れない、と思うことが大事だって、本で読んだことがある。ひょっとしたら伝わらないんじゃないか、みたいな気持ちがあれば、じゃあどうすれば伝わるんだろうと考え始めるわけだよね。自分の仕事の話で悪いんだけど、宝石のデザインというのも、コミュニケーションだと思うんだ。自分のデザインで、見る人や、お客さんに何かを伝えるわけでしょう。だから、奇をてらうっていうのか、変わったデザインで、単に目立っても意味がないんだよね。この指輪は変わってるねって言われるために、デザインしているわけじゃないんだからね。この指輪はきれいだねとか、この指輪は魅力的だねって、言ってほしいわけだから、自分がデザイン的にやりたかったことが伝わらないと意味がないわけ。相手に伝わらないと意味がない、それがすべてだと思うな」


p105
引きこもりと向き合っている人たちは、説教とか命令とか叱責とか激励とか懲罰とか、そういったものにはまったく意味がないと、みんな骨身に染みてわかっているのだ。


p106
赤ん坊に説教したり、怒鳴ったり、命令を聞かないからと怒ったり、頼みを聞かなかったからと懲罰を加える人は異常だ。母親は、実際に育てていく過程で赤ん坊とのコミュニケーションを学んでいく。育児の本は参考にはなるが、実際には赤ん坊と接してみて初めてわかることのほうが多い。竹村や、精神保健福祉センターの相談員や、親の会のカウンセラーの話を一年以上聞いて、それでやっと昭子は秀樹の態度や言葉の背後に何が隠されているのかに気づき始めた。それまでは焦るばかりで何もわからなかった。


p106
・「お子さんのいいところ」をできるだけたくさん書いてください。
・「お子さんが興味を持っていること・好きなこと」を書いてください。
・今日、お子さんのどんな行動を褒めましたか。
・「お子さんの夢」を書いてください。
・「あなたがお子さんと一緒にやってみたいこと」を書いてください。
お子さんのいいところ、という回答欄は二十個もあった。つまり自分の子どものいいところ、長所を二十個書けということだ。秀樹の長所? 昭子は、以外に優しい面がある、とだけ書いたが、あとは思い浮かばなかった。そのシートは差し上げます、と女性カウンセラーが言った。
「それをコピーしてください。そしてできればお父さんも一緒に、一週間に一度くらいですね、そのシートに記入してみてください。親が子どもを肯定してあげないと、引きこもりの本人は、誰からも肯定してもらえないんです。あなたが書いた答えの、意外に、とはどういう意味か、どういうときに優しさを感じたのか、そういうことも書いてください」


p117
疲れているだけでは人間は怒りださない。プライドが脅かされる、つまり生きることに困難さを感じたときに人は怒りだすのだと、カウンセラーに教えられたことがある。


p270
ビジネスものの漫画とかテレビだったら、おれたちのような熱血の営業チームが新しい取引先を開拓して、逃げ切ろうとする役員派閥に勝利を収めて終わるんだろうが、現実は違う、巨大な有利子負債は熱血なんかではどうにもならない。世の中に活気がないのはそれが原因だ。つまり活気なんか何の役にも立たないとみんなどこかで気づいているのだ。銀行が借り換えに応じなかったら、活気があろうとなかろうとそれで全部終わる。


p282
「女性を救いたいというのは、DVの第一歩なんです。救いたいという思いは、案外簡単に暴力につながります。それは、相手を、対等な人間として見ていないからです。対等な人間関係には、救いたいというような欲求はありません。彼女は可哀想な人だ。だからぼくが救わなければいけない。ぼくがいないと彼女は不幸なままだ。ぼくがいないと彼女はダメになる。ぼくがいるから彼女は生きていける。ぼくがいなければ彼女は生きていけない。
 そういう風に思うのは、他人を支配したいという欲求があるからなんです。そういう欲求がですね、ぼくがいなければ生きていけないくせに、あいつのあの態度はなんだ、という風に変わるのは時間の問題なんですよ。他人を救いたいという欲求と、支配したいという欲求は、実は同じです。そういう欲求を持つ人は、その人自身も深く傷ついている場合が多いんです。そういう人は、相手を救うことで、救われようとします。でも、その人自身が、心の深いところで、自分は救われるはずがないと思っている場合がほとんどなんです。自分は救われることがないという思いが、他人への依存に変わるんです」


p290
 父親はあくまで大学に行けと言うだろう。大学に行ったら幸福で充実した人生が送れるということを証明してほしいとわたしは言う。父親は証明できないだろう。だってわたしの人生なんだから、証明できるわけがない。考えてみれば変だ。どうすれば充実した人生が送れるかわからない人たちが、子どもにいろいろとサジェスションする。準備した最後の台詞は、わたしはおとうさんのために生きているんじゃない、というものだ。できれば最後の台詞は言わずに済ませたかった。


p322(あとがき)
この小説は、救う・救われるという人間関係を疑うところから出発している。誰かを救うことで自分も救われる、というような常識がこの社会に蔓延しているが、その弊害は大きい。そういった考え方は自立を疎外する場合がある。






100年目も1年目のように Fresh

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なんば駅の階段の広告塔が、真田丸から変身していたGW半ば。
むかし。中学2年のころ、帝塚山学院中等部の水泳部の女の子とデートしたことがあるけれど、まったく違う世界のお嬢ちゃんだった。高等部のお姉さんは優しかった。 みーんな、今はおばちゃんから、さらに進化形なんだろうな。 時間は一方通行を前進中だ。


桝添がセコいとかバカだとか言ってるうちは楽しいかも知れないけれど、それも段々飽きてきた。次のターゲットは誰なんだろうと思いつつ、月刊の文藝春秋は図書館にあるけれど、週刊文春は置いていない。 楽に立ち読みのできる無防備な書店が、イオンモールの中にあった。 よし、自転車で行って立ち読みしてこよう。 そして今日の昼はビーフカレーを作ることに決めた。


自分の昼ご飯は自分で作る。 なんて美しい自立なんだ、オレって。

まだモヤモヤが消えないけれど、後藤君、四十九日が過ぎるまで心をボンヤリさせておくよ。



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コメント 3

あるいる

近所の市立小学校が創立150周年だかなんだかのお祝い行事をするとか。
日本の義務教育は内容はともかくこれは凄いコトだぞ、この歴史には誇りを持てるなぁと感心したこの週末でした。
少なくとも自立・自律できるためにいろいろなコトを教えられて来たように思う僕のこども時代、そこから取捨選択が始まる思春期を経て今に至りますが、一番苦手なのが他者とのコミュニケーションです。
チーム・ワークもチーム・プレイも苦手です。
基本的にわがまま人間ですから人見知りも好き嫌いも強いですし、お愛想付き合いも苦手です。
苦手だと知っているからなんとかしようと僕なりの努力はするのですが、この「僕なり」というのがときに独りよがりで困ったヤツです。
コミュニケーションの特効薬か必殺技、どなたかみつけてくれませんかね。
ノーベル賞もんだと思うのですが、さて。
と、ここでも他力本願な僕、自立も自律もまだまだ道半ばのようです。

by あるいる (2016-05-15 15:25) 

Lonesome社っ長ょぉ〜

毎日届くメルマガの多くはコミュニケーション関連です。一つの指針として
はやくにたちそうなのも存在していますが、相手は生身の人間、感情と
言うものがある限り、まずはその瞬間の状態観察から入らないとやけど
する事多しです。永遠のテーマです。
店主と仲良しのコンビニなら文春立ち読み可能ですが、その場所確保が
面倒なのでスルーしてます。
by Lonesome社っ長ょぉ〜 (2016-05-15 18:24) 

JUNKO

我が家の相棒はとっくに自立していますよ。朝食も自分で用意しています。しつけがが上手かったな!
by JUNKO (2016-05-15 22:02) 

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