サクラ咲く [日常]
2012/05/09
勤務校の生徒玄関横には、まだ幼いが一本の桜の木がある。満開を少し過ぎたところであった。例年より少し遅い感じがする。今年の咲き具合に元気が感じられないけれど、きっと異常気象のせいだろうが咲けばいい。
「サクラサク」、合格電報の文面だったように記憶するが、北海道ではGW明けが季節だから、ちょっと寝ぼけた感じもする。
青空を背景にすると美しい。ただ、咲き誇る量がまだまだ幼く、しかし満ち足りる頃には退職して私はいないだろう。夜遅く退勤する頃にいつも思うが、夜桜見ながら飲みたいものだと。しかし、「校地内での飲酒」は厳罰だろう昨今、大変な騒ぎになるだろうな。どうも近頃味気ない。
勤務校の生徒玄関横には、まだ幼いが一本の桜の木がある。満開を少し過ぎたところであった。例年より少し遅い感じがする。今年の咲き具合に元気が感じられないけれど、きっと異常気象のせいだろうが咲けばいい。
「サクラサク」、合格電報の文面だったように記憶するが、北海道ではGW明けが季節だから、ちょっと寝ぼけた感じもする。
青空を背景にすると美しい。ただ、咲き誇る量がまだまだ幼く、しかし満ち足りる頃には退職して私はいないだろう。夜遅く退勤する頃にいつも思うが、夜桜見ながら飲みたいものだと。しかし、「校地内での飲酒」は厳罰だろう昨今、大変な騒ぎになるだろうな。どうも近頃味気ない。
咲いた咲いた桜が咲いた。いつか、どこかで読んだことのある文章だ。
続々・断捨離 断行中 [日常]
2012/05/09 6:27am
断捨離 断行中 一角を崩す
まいにち少しずつしかできない。気力を振り絞って捨てる。捨てる。捨てらぁ。
引き出しの中に埋もれていた夢を思い出した。
書類の山の中に隠れていたこころを掘り起こした。
無用の産物の中の原石は見つかるのか。
あなたの夢を あきらめないで/岡村孝子
続・断捨離 断行中 [日常]
断捨離を有効に完遂するためには時間が必要です。参った、平日にはほんの一角しか片付けることができません。それでも必ずやると決めて、点滴石をうがつ。週末には講習もあり、初泳ぎもあってダウンするだろうから、それほど時間は期待できません。毎日1時間、2時間と決めて捨てる、片付ける。
GWを利用して断捨離断行中で、心が痛みはしますけれど、棺桶に満載もない。となれば自分の意志で自由になるしかない。そんな「終わる準備」を始めました。・・・ものすごい量のゴミの山になりました。(2012-05-06 10:55)
昨日(2012/05/07)は月曜だから燃えるゴミの日でしたが、さすがにゴミ山第一弾を全部出すわけにはいきませんでした。遠慮がちに、しかもカラスの襲撃を避けるために上手に配置して、捨てました。しばらくはゴミステーションも拙宅の物で独占中となります。現在、ゴミの有料袋代金、2400円也。
おそらく物への執着心が薄れ始め、結局は、今を楽しもうという原点に返ってくることができると思います。子どもたちの戦いをライブで楽しみ、子どもたちを全力で応援する。そういう時間を今しか過ごせないのだから今を生きることになるのでしょう。再び、「オレの時代」がやってくるのだと思います。やったー!
GWを利用して断捨離断行中で、心が痛みはしますけれど、棺桶に満載もない。となれば自分の意志で自由になるしかない。そんな「終わる準備」を始めました。・・・ものすごい量のゴミの山になりました。(2012-05-06 10:55)
昨日(2012/05/07)は月曜だから燃えるゴミの日でしたが、さすがにゴミ山第一弾を全部出すわけにはいきませんでした。遠慮がちに、しかもカラスの襲撃を避けるために上手に配置して、捨てました。しばらくはゴミステーションも拙宅の物で独占中となります。現在、ゴミの有料袋代金、2400円也。
おそらく物への執着心が薄れ始め、結局は、今を楽しもうという原点に返ってくることができると思います。子どもたちの戦いをライブで楽しみ、子どもたちを全力で応援する。そういう時間を今しか過ごせないのだから今を生きることになるのでしょう。再び、「オレの時代」がやってくるのだと思います。やったー!
断捨離 断行中 [日常]
GW総括
断捨離 断行中
![[家]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/38.gif)
優秀なるがゆえに遺すとすれば、美人三姉妹とそのルーツである奥様ぐらいか。所持品への執着もほとんど消すことができている。断捨離、断行中。そもそも発端は、母を迎えるにしろ2階で寝起きさせるわけにはいかない。私が階段を上るのが億劫で、下の部屋を書斎代わりに使っている。母が少なくとも遊びに来て寝るとすれば、1階の部屋が良い。その部屋をカラにするしかない。
足の踏み場もない部屋だが、ここから開始である。捨てる。捨てる。捨てる。宝物である、吉行淳之介のサイン本(限定2000部発行)は生徒にやる。難病を克服しておそらく北大に現役で入るであろう娘には、松本清張全集のうち短編集をやる。本の中でも嫁ぎ先が決まった物は処分されずにまだ生き残る。しかし、多くは断捨離。中身の検討もしなくて捨てる。
それでも子どもたちの、その生きた時代を輝かせているメダルや盾は絶対に残しておく。彼女たちが自分だけしか知っていない苦しみの末に手に入れた宝物だからだ。私の一存で処分はできない。応援団として、この宝を守り育てようと思う。
![[ひらめき]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/151.gif)
何度か引っ越しなどを重ねるうちに手紙や日記はそのつど減量してきている。未だに生き残った物は、未練の固まりなのではなくて、小説が生み出されそうなヒントが詰まった物であるように記憶している。初日には読み直して「イケナイ自分」を思い起こして暗い気持ちになった。あるいは二日目、激励される気持ちになる物もあった。しかし全て処分。結局、最終日に残った物は10通余り。喜劇になるものと悲劇になる物だけ。情熱的なイタリア人だなと過去の自分を思いながら、処分処分。断捨離、断行中。
この世に遺す物など有りはしない。
優秀なるがゆえに遺すとすれば、美人三姉妹とそのルーツである奥様ぐらいか。所持品への執着もほとんど消すことができている。断捨離、断行中。そもそも発端は、母を迎えるにしろ2階で寝起きさせるわけにはいかない。私が階段を上るのが億劫で、下の部屋を書斎代わりに使っている。母が少なくとも遊びに来て寝るとすれば、1階の部屋が良い。その部屋をカラにするしかない。
足の踏み場もない部屋だが、ここから開始である。捨てる。捨てる。捨てる。宝物である、吉行淳之介のサイン本(限定2000部発行)は生徒にやる。難病を克服しておそらく北大に現役で入るであろう娘には、松本清張全集のうち短編集をやる。本の中でも嫁ぎ先が決まった物は処分されずにまだ生き残る。しかし、多くは断捨離。中身の検討もしなくて捨てる。
この世に遺す物など何もない、という所までそぎ落とそうと開始した戦い。
それでも子どもたちの、その生きた時代を輝かせているメダルや盾は絶対に残しておく。彼女たちが自分だけしか知っていない苦しみの末に手に入れた宝物だからだ。私の一存で処分はできない。応援団として、この宝を守り育てようと思う。
何度か引っ越しなどを重ねるうちに手紙や日記はそのつど減量してきている。未だに生き残った物は、未練の固まりなのではなくて、小説が生み出されそうなヒントが詰まった物であるように記憶している。初日には読み直して「イケナイ自分」を思い起こして暗い気持ちになった。あるいは二日目、激励される気持ちになる物もあった。しかし全て処分。結局、最終日に残った物は10通余り。喜劇になるものと悲劇になる物だけ。情熱的なイタリア人だなと過去の自分を思いながら、処分処分。断捨離、断行中。
こどもの日にはちまき [味]
2012/05/05
こどもの日にはちまきと書いて「こどもの日に鉢巻き」とは読まない。こどもの日には粽です。
むかし教育六法しか読む物が手元にないとき読んでいて、こどもの日の制定趣旨に驚いたことがある。断捨離断行中ゆえ手元にないのでウィキペディア。
こどもの日に、なぜ、ちまきなのか。東京人の奥様は柏餅と言い、しかし歌に「ちぃ~まぁきぃ~食べ食べ」とあるではないかと。議論になればインターネット検索。ヤフー検索。
個人的には、柏餅も粽も餡の使われ方が好みではなく、原則、私は粒餡派です。ただ、桜餅は食べますがあれは外壁が粒々で食感も良く、ただ葉っぱまで食べさせられるのはつらいです。
よって、こどもの日に届くように、ちまきを注文しました。もちろん、551。
この粽は大好きです。生まれて初めて食べたのが成人後ですから、よほど世間知らず。育ての親に食べさせてもらったのが横浜中華街。世の中に、こんなうまい物があったのかと、腰を抜かしそうになりました。だからこどもの日に、漉し餡の入った柏餅も、粽も食べないけれど、この中華風の粽は大好きで、注文しました。大阪を歩いているときに、何度も店頭販売を見て食べたくなり、どうしても一人では立ち食いができず、観念しておりました。厳しく育てられるのも善し悪しです。
こどもの日にはちまきと書いて「こどもの日に鉢巻き」とは読まない。こどもの日には粽です。
むかし教育六法しか読む物が手元にないとき読んでいて、こどもの日の制定趣旨に驚いたことがある。断捨離断行中ゆえ手元にないのでウィキペディア。
祝日法2条によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことが趣旨である。1948年に制定。ゴールデンウイークを構成する日の一つである。母に感謝すると制定した所はGHQの影響でしょうか。いずれにせよ父が感謝されることはあまりありません。草食系男子の時代になったなら、父に感謝する日が制定されて、さらに家事育児炊事洗濯に励むことになるかもしれません。
こどもの日に、なぜ、ちまきなのか。東京人の奥様は柏餅と言い、しかし歌に「ちぃ~まぁきぃ~食べ食べ」とあるではないかと。議論になればインターネット検索。ヤフー検索。
もともと平安時代に中国から端午の節句が伝来したときに粽(ちまき)が伝えられ、全国に広がっていきました。その後江戸時代に端午の節句が五節句のひとつになってから、縁起のいい柏餅が江戸の主流となり、伝統を重んじる上方は粽を伝承したのです。当時の文献にもその様子が書かれており、関東では柏餅、関西では粽を食べる傾向が幕末にほぼ定着していたことがわかります。
個人的には、柏餅も粽も餡の使われ方が好みではなく、原則、私は粒餡派です。ただ、桜餅は食べますがあれは外壁が粒々で食感も良く、ただ葉っぱまで食べさせられるのはつらいです。
よって、こどもの日に届くように、ちまきを注文しました。もちろん、551。
この粽は大好きです。生まれて初めて食べたのが成人後ですから、よほど世間知らず。育ての親に食べさせてもらったのが横浜中華街。世の中に、こんなうまい物があったのかと、腰を抜かしそうになりました。だからこどもの日に、漉し餡の入った柏餅も、粽も食べないけれど、この中華風の粽は大好きで、注文しました。大阪を歩いているときに、何度も店頭販売を見て食べたくなり、どうしても一人では立ち食いができず、観念しておりました。厳しく育てられるのも善し悪しです。
それでも土曜日の晩ご飯に食べるのだから、もちろん主食はたこ焼きです。
退職校長の激励会 [旅]
2012/04/29 Sun ―Hakodate―
私にとって兄貴分の戦友が退職。ささやかながら「あの時代」を全力で駆け抜けた仲間だけで退職激励会をした。前回このメンバーが集まったのは、平成20年2月16日(土)午後6時、函館天金にて。4年前のその時には音楽家と体育家の退職激励会だった。要するに私たちが勤務していた学校が消えてなくなり、統合される頃だった。「あの時代」は全力だったがゆえに、無茶苦茶だった。楽しかった。たくさん喧嘩したし、激論を交わした。全力で駆け抜けた時代は輝く。
何と言っても「兄貴」が不死身だから、絶対に酔わないと豪語して本当に三日三晩、日中は仕事して夜は飲み続け、我々が選手交代して一人一人がダウンしても、つぶれない男だったから、何としてでも今夜は酔いつぶれてもらおうと開始を5時に早めている。店に到着撮影時間16:50。
アナゴの美味しい店で最後に追加で出してもらいました。ただ、JALの娘に付き合って築地で食べたアナゴが絶品だったからと言う体育家だけは、美味しいと言いませんでした。この日に集まったのがベストメンバーです。もう一人、あいつとなどと言い出したらベストは組めません。今日来た人がベストメンバーです。
「函太郎」の方が美味しいとか、そういうことは言わない。この店では6時間半も粘っちゃっているわけだから、ね。店にとっちゃ、酔っぱらいのジジイばかりで粘られてはいい迷惑だけど、こういうご時世だから交渉できたのか、いえいえ、古なじみの縁ですよ。他のお客さんにはできませんよ。
体育家復活、美術科退職、理科退職校長と、アートに映したら酔っぱらいの赤顔になってしまいました。全員ステキな笑顔を持っていて、いい人たちです。このお三方だけで平均年齢60歳。周囲も自分も年を食っていくと言うことでしょうか。企画委員長が書道家です。また、冷徹に場を読んでしかもユニークな対応をする音楽家も居て、あとは古稀を拒絶する国語家、そして私。波長が合っていたのだなと思います。
寿司屋を出た時刻は「23:38」と記録され、モーモータクシーを降りた時刻は「2:30」となっております。約3時間近い空白があります。長ぁ~い一次会を終え、不死身の男前が酔っぱらいました。二次会ではダウンしてしまいました。左肩をずっと貸していたから少し痛くなりましたが、たっくさんのストレスと闘い続けたのですから、少しは肩をお貸ししましょう。
一昨年は水泳の全道大会当番校長として、うちの三女に賞状を渡してくれましたし、次の五輪を本気で狙っているよと言うと、即座に「行こう」と言ってくれました。彼とならリオに行っても面白いかなと思っています。
![[ビール]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/53.gif)
![[ビール]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/53.gif)
大有のお弟子さんの作品。この方は必ず売れる人だと思っています。書道家の弟子が絵筆も始めて、元々ユニークな視点をお持ちだから、味わいのある作品を生み出している。売れっ子になる前に買い付けに行くとしよう。
私にとって兄貴分の戦友が退職。ささやかながら「あの時代」を全力で駆け抜けた仲間だけで退職激励会をした。前回このメンバーが集まったのは、平成20年2月16日(土)午後6時、函館天金にて。4年前のその時には音楽家と体育家の退職激励会だった。要するに私たちが勤務していた学校が消えてなくなり、統合される頃だった。「あの時代」は全力だったがゆえに、無茶苦茶だった。楽しかった。たくさん喧嘩したし、激論を交わした。全力で駆け抜けた時代は輝く。
何と言っても「兄貴」が不死身だから、絶対に酔わないと豪語して本当に三日三晩、日中は仕事して夜は飲み続け、我々が選手交代して一人一人がダウンしても、つぶれない男だったから、何としてでも今夜は酔いつぶれてもらおうと開始を5時に早めている。店に到着撮影時間16:50。
アナゴの美味しい店で最後に追加で出してもらいました。ただ、JALの娘に付き合って築地で食べたアナゴが絶品だったからと言う体育家だけは、美味しいと言いませんでした。この日に集まったのがベストメンバーです。もう一人、あいつとなどと言い出したらベストは組めません。今日来た人がベストメンバーです。
「函太郎」の方が美味しいとか、そういうことは言わない。この店では6時間半も粘っちゃっているわけだから、ね。店にとっちゃ、酔っぱらいのジジイばかりで粘られてはいい迷惑だけど、こういうご時世だから交渉できたのか、いえいえ、古なじみの縁ですよ。他のお客さんにはできませんよ。
体育家復活、美術科退職、理科退職校長と、アートに映したら酔っぱらいの赤顔になってしまいました。全員ステキな笑顔を持っていて、いい人たちです。このお三方だけで平均年齢60歳。周囲も自分も年を食っていくと言うことでしょうか。企画委員長が書道家です。また、冷徹に場を読んでしかもユニークな対応をする音楽家も居て、あとは古稀を拒絶する国語家、そして私。波長が合っていたのだなと思います。
寿司屋を出た時刻は「23:38」と記録され、モーモータクシーを降りた時刻は「2:30」となっております。約3時間近い空白があります。長ぁ~い一次会を終え、不死身の男前が酔っぱらいました。二次会ではダウンしてしまいました。左肩をずっと貸していたから少し痛くなりましたが、たっくさんのストレスと闘い続けたのですから、少しは肩をお貸ししましょう。
一昨年は水泳の全道大会当番校長として、うちの三女に賞状を渡してくれましたし、次の五輪を本気で狙っているよと言うと、即座に「行こう」と言ってくれました。彼とならリオに行っても面白いかなと思っています。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。 (「方丈記」)
結局のところ、旅は誰と行き何を食べたか。次いで何処へ行ったか。いづこへ。
月日は百代の過客(はくたいのかかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。 『おくのほそ道(奥の細道)』
月日は永遠の旅人であり、来ては過ぎる年もまた旅人のようなものである。絶えることなく行き交う舟の上に人生を浮かべる船頭、馬の口をつかまえて老境を迎える馬借(馬方)などは、毎日が旅であり旅を自らの住処としている。昔の人も旅の途上で死んだ者は多い。
大有のお弟子さんの作品。この方は必ず売れる人だと思っています。書道家の弟子が絵筆も始めて、元々ユニークな視点をお持ちだから、味わいのある作品を生み出している。売れっ子になる前に買い付けに行くとしよう。
むかし住んでいた街へ再び [旅]
2012/04/29 Sun ―Hakodate―
いざ函館へ向かうのだが何ゆえに。それはかつての戦友が退職し、仲間内だけでの激励会があると聞き、これは訪れるのが仁義。私が三十代の半ばに粋がっていた頃、ともにあつく未来を語り、全身全霊で戦った日々に、学校の一つの時代を共有することができた男前、たくさんの刺激を受けた方をねぎらうことは仁義。
今は長距離運転をする気力がなく、高速バスを利用する。出発は札幌駅前。かつては西武百貨店があった場所も建物が取り壊されて久しい。かつてはロフトの業者搬入口の所にバス停はあった。往復料金が7400円。往復のガソリン代以上だから、高速代金も考えると一人なら格安である。所要時間、函館駅前まで5時間6分。
駅前には来ることがなかったから、新装オープンした函館駅には驚いた。キレイにはなったが、もう少し2階の規模が大きくてもいいなと思った。土産物店も規模が小さくて、観光向けには寂しい気がした。観光客は駅前の店に任せたのかもしれない。
煉瓦造りの建物には風情があって観光スポットになっている。明治館は前身が郵便局で昭和37年まで営業をしており、その後しばらく放置されていたはず。いつしか再開発でショッピングモールとして変身する。私が初めて北海道旅行をした昭和49年12月には、明治館でも2店舗くらいしか営業をしておらず、そのうちの1軒のサーフショップはもうなくなっていると思う。ほとんど客など居ない時期だったが、これは観光名所になると思っていた。
明治館を過ぎてしばらく歩くとこういう茶房があり、なかなかのオシャレで昔なら「アン・ノン族」の定番である。他にも蔵を改造した喫茶店だとか、あるいは上級旅館だった所がレストランにだとか変身していて、雰囲気を楽しみながら飲食ができるのは、レトロで旅情も満ちる。
普通に歩いていると見落としてしまうのがコレ。ガイドブックを熟読している人ならチェック済みだけど、そういうのを頼らず自身の嗅覚で歩き回る者には見落としがちな存在。それでもこれは十分に歴史的建造物で大正時代の産。
ハセガワストア(焼き鳥弁当) ― ラッキーピエロ ― カリフォルニアベイビーと、オール函館B級グルメの三大有名店が軒を連ねている函館市末広町23(金森倉庫群まえ海岸通り山側突き当たり)は、そこそこの賑わいを見せていました。ラッキーピエロが一番の行列店でしょうか。
私の狙いは「カリベビのシスコライス」でした。犬の餌みたいな感じはするものの、タバスコをたっぷりとかけて食べるのが好きです。690円、腹一杯になります。雑誌などでは「アメリカ西海岸風の店内で評判の料理を味わおう」なんてあるけれど、西海岸にこんな店はありません。これは単純に日本人が西海岸とか湘南とかを勝手にイメージした、「雰囲気」の店です。
ただ、カリベビにて、雰囲気を楽しむためには休日やランチタイムは避けねばなりません。かつて、出張で同僚と函館に来て、彼が、学生時代からどうしても行きたかったカリベビでシスコライスを食べたい、という願いがあったようなので、一緒に来て食べました。その時は平日だったのでさほどの混雑はありませんでした。また、完全にランチタイムを外せば、少しはゆっくりできる。
函館で人気スポットと言えば必ずトップ3に入るのがここ、金森倉庫群。たしかにオシャレな町並みとなるし、元々は倉庫だから各種収納スペースはあり、独自色を出した店舗が参入できている。先頃も、スターバックスコーヒーが営業を開始し、函館にもスタバ登場と言うことだ。人は多い。
港に停泊するイカ釣り船こそ函館を象徴すると思っている。貫禄があるこの提灯のように並ぶ電球。漁り火となり、夜燃えるのだが、この鈴なりには迫力がある。
函館駅前乗り場2番停留所から14番のバスに乗り、ここで降りると友人宅まで徒歩3分。次の停留所まで行くと運賃が上がるよと、運転手さんが教えてくれてここで降りた。降りたい所の住所を言って乗ったのだった。
ランチタイム2時間半の旅終了。
いざ函館へ向かうのだが何ゆえに。それはかつての戦友が退職し、仲間内だけでの激励会があると聞き、これは訪れるのが仁義。私が三十代の半ばに粋がっていた頃、ともにあつく未来を語り、全身全霊で戦った日々に、学校の一つの時代を共有することができた男前、たくさんの刺激を受けた方をねぎらうことは仁義。
今は長距離運転をする気力がなく、高速バスを利用する。出発は札幌駅前。かつては西武百貨店があった場所も建物が取り壊されて久しい。かつてはロフトの業者搬入口の所にバス停はあった。往復料金が7400円。往復のガソリン代以上だから、高速代金も考えると一人なら格安である。所要時間、函館駅前まで5時間6分。
駅前には来ることがなかったから、新装オープンした函館駅には驚いた。キレイにはなったが、もう少し2階の規模が大きくてもいいなと思った。土産物店も規模が小さくて、観光向けには寂しい気がした。観光客は駅前の店に任せたのかもしれない。
昼食を食べるために金森倉庫群まえ海岸通り山側突き当たり方向へ向かう。
朝市を通り抜けてゆくのだが、やっぱりコレだ。イカだ、イカ。昔は車を引いて「イガ~、イガ~」と売り歩きがあった。そう、ここは函館。何と言っても函館市の魚は「真イカ」であって、拙宅の娘はこの街で生まれ「まいか」と名付けられるわけで、まっいっか、というのは一つ話。煉瓦造りの建物には風情があって観光スポットになっている。明治館は前身が郵便局で昭和37年まで営業をしており、その後しばらく放置されていたはず。いつしか再開発でショッピングモールとして変身する。私が初めて北海道旅行をした昭和49年12月には、明治館でも2店舗くらいしか営業をしておらず、そのうちの1軒のサーフショップはもうなくなっていると思う。ほとんど客など居ない時期だったが、これは観光名所になると思っていた。
明治館を過ぎてしばらく歩くとこういう茶房があり、なかなかのオシャレで昔なら「アン・ノン族」の定番である。他にも蔵を改造した喫茶店だとか、あるいは上級旅館だった所がレストランにだとか変身していて、雰囲気を楽しみながら飲食ができるのは、レトロで旅情も満ちる。
普通に歩いていると見落としてしまうのがコレ。ガイドブックを熟読している人ならチェック済みだけど、そういうのを頼らず自身の嗅覚で歩き回る者には見落としがちな存在。それでもこれは十分に歴史的建造物で大正時代の産。
ハセガワストア(焼き鳥弁当) ― ラッキーピエロ ― カリフォルニアベイビーと、オール函館B級グルメの三大有名店が軒を連ねている函館市末広町23(金森倉庫群まえ海岸通り山側突き当たり)は、そこそこの賑わいを見せていました。ラッキーピエロが一番の行列店でしょうか。
私の狙いは「カリベビのシスコライス」でした。犬の餌みたいな感じはするものの、タバスコをたっぷりとかけて食べるのが好きです。690円、腹一杯になります。雑誌などでは「アメリカ西海岸風の店内で評判の料理を味わおう」なんてあるけれど、西海岸にこんな店はありません。これは単純に日本人が西海岸とか湘南とかを勝手にイメージした、「雰囲気」の店です。
ただ、カリベビにて、雰囲気を楽しむためには休日やランチタイムは避けねばなりません。かつて、出張で同僚と函館に来て、彼が、学生時代からどうしても行きたかったカリベビでシスコライスを食べたい、という願いがあったようなので、一緒に来て食べました。その時は平日だったのでさほどの混雑はありませんでした。また、完全にランチタイムを外せば、少しはゆっくりできる。
函館で人気スポットと言えば必ずトップ3に入るのがここ、金森倉庫群。たしかにオシャレな町並みとなるし、元々は倉庫だから各種収納スペースはあり、独自色を出した店舗が参入できている。先頃も、スターバックスコーヒーが営業を開始し、函館にもスタバ登場と言うことだ。人は多い。
港に停泊するイカ釣り船こそ函館を象徴すると思っている。貫禄があるこの提灯のように並ぶ電球。漁り火となり、夜燃えるのだが、この鈴なりには迫力がある。
函館駅前乗り場2番停留所から14番のバスに乗り、ここで降りると友人宅まで徒歩3分。次の停留所まで行くと運賃が上がるよと、運転手さんが教えてくれてここで降りた。降りたい所の住所を言って乗ったのだった。
むかし住んでいた場所を訪ねて 4 [旅]
2012/04/22 Sun その3
南海本線「住吉公園駅」から「粉浜駅」まで平行して商店街が延びていて、活気にあふれていた。遮断機のあるところは商店街を横断する道になっていて、列車通過を待たされることも長かった。しかし、南海本線は高架工事が終了していて、往来はさびれていた。
それでも昔ながらの、住吉公園側入り口にある鶏肉専門店は健在で、揚げたてのカツなんて今でも食べたくなるものだった。しかし、粉浜駅側にあった鶏肉専門店は消滅していた。基本的に往来は住吉公園側が多く未だに生存中だが、商店街の半ばより向こうは壊死が始まっていた。無常である。
小さな感傷旅行を作った。
母が河内長野の40年前に新興住宅という名の元に開発された「山奥」に一人で住むことを思うと、そりゃあ感傷的にもなる。ただ、今の生活を変えることはできないし、3人の娘のためにもう一踏ん張り今の北海道で生き抜くしかないのだった。
しかしそれでも、今までとは違って、ピーチ航空を頼りに、足繁く帰省しなければならないなと思っている。孝行息子を演じてみようと思っている。
![[飛行機]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/37.gif)
2012/04/23 Mon
河内長野駅前から関空までバスが出ていて楽そうに思っている。ただ、毎回途中乗車がないのに和泉中央駅に寄ったりして無駄を感じるのでビジネス感覚には似合わない。バスの名前は「Sorae(ソラエ)」という安直さだ。・・・まあいいか。バスは出発直前まで乗せてくれないので、ミスドで時間を有効につぶした。
それでもこの儲けのなさそうなバスに乗るのは、空港に入る直線の橋から見える景色が、「hatumi30331さん」のマンションから見える景色のように思う感傷たっぷりの思い。でも本当は、母の勧めだから素直に従っているというのもある。
空港で待ち時間を過ごすには連れがなければ楽しさは半減する。それが苦痛で旅に出るのが怖くなりつつある老いらくだろうと思う。出会いが面倒なのかな。現在が満たされているのかな。・・・それでも過ごしやすい環境を見つけた。インターネットカフェ機能を備えた 24時間 空港ラウンジ。
最初の30分300円。以降10分ごとに100円加算。私は1時間31分いて900円でした。パック料金というものもあって3時間まで1500円、6時間まで2600円、9時間まで3200円。シャワー500円。流民にとっても棲息空間となる。考えようによっては1泊3200円。
![[飛行機]](http://blog.so-net.ne.jp/_images_e/37.gif)
広島の「八天堂」という店のクリームパンは有名らしくて、毎日限定販売だそうだが、昼を過ぎても余っていた。飛ぶように売れるのかと思うくらいのチラシがあちこちにあったが、まだまだたくさんあった。土産にするには怖いので1個買って食べた。好みではなかった。南海線の難波駅1階、高島屋を出たところにある「とびら」(「hatumi30331さん」オススメの店)のクリームパンの方が絶品中の絶品で、お土産にしたい。
退屈な旅はしたくない。次回の感傷旅行は、10歳まで住んでいた千里丘を攻めてようとモチベーションを向上させている。かなうか。
朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。 (「方丈記」)
南海本線「住吉公園駅」から「粉浜駅」まで平行して商店街が延びていて、活気にあふれていた。遮断機のあるところは商店街を横断する道になっていて、列車通過を待たされることも長かった。しかし、南海本線は高架工事が終了していて、往来はさびれていた。
それでも昔ながらの、住吉公園側入り口にある鶏肉専門店は健在で、揚げたてのカツなんて今でも食べたくなるものだった。しかし、粉浜駅側にあった鶏肉専門店は消滅していた。基本的に往来は住吉公園側が多く未だに生存中だが、商店街の半ばより向こうは壊死が始まっていた。無常である。
小さな感傷旅行を作った。
母が河内長野の40年前に新興住宅という名の元に開発された「山奥」に一人で住むことを思うと、そりゃあ感傷的にもなる。ただ、今の生活を変えることはできないし、3人の娘のためにもう一踏ん張り今の北海道で生き抜くしかないのだった。
しかしそれでも、今までとは違って、ピーチ航空を頼りに、足繁く帰省しなければならないなと思っている。孝行息子を演じてみようと思っている。
2012/04/23 Mon
河内長野駅前から関空までバスが出ていて楽そうに思っている。ただ、毎回途中乗車がないのに和泉中央駅に寄ったりして無駄を感じるのでビジネス感覚には似合わない。バスの名前は「Sorae(ソラエ)」という安直さだ。・・・まあいいか。バスは出発直前まで乗せてくれないので、ミスドで時間を有効につぶした。
それでもこの儲けのなさそうなバスに乗るのは、空港に入る直線の橋から見える景色が、「hatumi30331さん」のマンションから見える景色のように思う感傷たっぷりの思い。でも本当は、母の勧めだから素直に従っているというのもある。
空港で待ち時間を過ごすには連れがなければ楽しさは半減する。それが苦痛で旅に出るのが怖くなりつつある老いらくだろうと思う。出会いが面倒なのかな。現在が満たされているのかな。・・・それでも過ごしやすい環境を見つけた。インターネットカフェ機能を備えた 24時間 空港ラウンジ。
最初の30分300円。以降10分ごとに100円加算。私は1時間31分いて900円でした。パック料金というものもあって3時間まで1500円、6時間まで2600円、9時間まで3200円。シャワー500円。流民にとっても棲息空間となる。考えようによっては1泊3200円。
広島の「八天堂」という店のクリームパンは有名らしくて、毎日限定販売だそうだが、昼を過ぎても余っていた。飛ぶように売れるのかと思うくらいのチラシがあちこちにあったが、まだまだたくさんあった。土産にするには怖いので1個買って食べた。好みではなかった。南海線の難波駅1階、高島屋を出たところにある「とびら」(「hatumi30331さん」オススメの店)のクリームパンの方が絶品中の絶品で、お土産にしたい。
退屈な旅はしたくない。次回の感傷旅行は、10歳まで住んでいた千里丘を攻めてようとモチベーションを向上させている。かなうか。
むかし住んでいた場所を訪ねて 3 [旅]
2012/04/22 Sun その3
上町線を使って、「帝塚山四丁目」から「住吉公園」まで乗った。「帝塚山四丁目」の次の「神ノ木」駅が私には最寄りの駅だったが、そこからなら住吉神社までは子どもでも自転車か徒歩で十分な距離だった。実際に住吉神社までは自宅からよく歩いて遊びに行った。
住吉神社と来れば「太鼓橋」である。わざわざ何でこんな怖い橋を造るんやと、子ども心に思ったはずである。登れるようになるのは小学校高学年になってからで、低学年の頃は見上げるだけでビビってしまって、両サイドにある小さいコンクリートの橋を渡っていた。しかし、還暦が近づいてきた今、登ったはいいけれど、降りるのが怖くて手すり側に寄ってしまったのである。ガキの頃と同じ恐怖である。
朱が鮮やかで昔から好きでした。氏神様は向かいにある生根神社だけど、住吉神社が華麗で好きでした。土佐日記にも出てくるわけだから、1000年以上の歴史のある海の神。
上町線を使って、「帝塚山四丁目」から「住吉公園」まで乗った。「帝塚山四丁目」の次の「神ノ木」駅が私には最寄りの駅だったが、そこからなら住吉神社までは子どもでも自転車か徒歩で十分な距離だった。実際に住吉神社までは自宅からよく歩いて遊びに行った。
住吉神社と来れば「太鼓橋」である。わざわざ何でこんな怖い橋を造るんやと、子ども心に思ったはずである。登れるようになるのは小学校高学年になってからで、低学年の頃は見上げるだけでビビってしまって、両サイドにある小さいコンクリートの橋を渡っていた。しかし、還暦が近づいてきた今、登ったはいいけれど、降りるのが怖くて手すり側に寄ってしまったのである。ガキの頃と同じ恐怖である。
朱が鮮やかで昔から好きでした。氏神様は向かいにある生根神社だけど、住吉神社が華麗で好きでした。土佐日記にも出てくるわけだから、1000年以上の歴史のある海の神。
池に映した太鼓橋は昔からすてきだったのでした。私が豊頰の美少年であった頃も変わらずに。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 (「方丈記」)
歩けど歩けどそこにあるのは無常観。・・・See you.
向こうに見える南海本線も高架になっていました。
むかし住んでいた場所を訪ねて 2 [旅]
2012/04/22 Sun その2
南海高野線「住吉東」駅から歩くが、「昔」の道はほとんどなくなっていた。いくつも自動車道路が発生していて驚いた。しかし唯一、一本だけ昔のままの道が残っていた。途中にある市場は全部なくなって、小型のアパートに変身していた。
駅から歩き、むかし住んでいた家方向に歩く。消えてしまった市場の手前に神社があった。昔からコンクリートの鳥居だったと思う。悪い人に呼び出されたりすると怖い場所でもあった。
小学校4年の3学期からこの町に住んだ。毎朝、「万代池」まで走った。往復2㎞ほどなのか。子どもには結構タフだったように思う。2つ上の姉は走らされることを嫌っていたように思う。万代池に着くと、そこでは周回路となり、俄然ダッシュするのだが、嬉しい思い出はない。なぜだろうか。
万代池を出て、我が家の方向への直線を眺める。変わりゆく町並み。変わらぬ町並み。
たまり場。不良にはクリームソーダが似合うと信じていた時代、三島由紀夫が市ヶ谷の駐屯地で割腹自殺を遂げたとき、部活をサボって友人と「どうする?」などと、当てのない話をしていた。帝塚山四丁目駅前、木村屋。
住吉公園へと行く、か。ぶらりの途中下車、おそらく住吉公園から、難波を目指すのだと思う。再び「住吉東」に向かって歩くのは、気分的に疲れると思った。多くの友人宅は消え、なじみだった店もなくなっていた。40年という時間のなせる技。
南海高野線「住吉東」駅から歩くが、「昔」の道はほとんどなくなっていた。いくつも自動車道路が発生していて驚いた。しかし唯一、一本だけ昔のままの道が残っていた。途中にある市場は全部なくなって、小型のアパートに変身していた。
駅から歩き、むかし住んでいた家方向に歩く。消えてしまった市場の手前に神社があった。昔からコンクリートの鳥居だったと思う。悪い人に呼び出されたりすると怖い場所でもあった。
小学校4年の3学期からこの町に住んだ。毎朝、「万代池」まで走った。往復2㎞ほどなのか。子どもには結構タフだったように思う。2つ上の姉は走らされることを嫌っていたように思う。万代池に着くと、そこでは周回路となり、俄然ダッシュするのだが、嬉しい思い出はない。なぜだろうか。
万代池を出て、我が家の方向への直線を眺める。変わりゆく町並み。変わらぬ町並み。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。 (「方丈記」)
たまり場。不良にはクリームソーダが似合うと信じていた時代、三島由紀夫が市ヶ谷の駐屯地で割腹自殺を遂げたとき、部活をサボって友人と「どうする?」などと、当てのない話をしていた。帝塚山四丁目駅前、木村屋。
住吉公園へと行く、か。ぶらりの途中下車、おそらく住吉公園から、難波を目指すのだと思う。再び「住吉東」に向かって歩くのは、気分的に疲れると思った。多くの友人宅は消え、なじみだった店もなくなっていた。40年という時間のなせる技。





























