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鯉にゆれる   [むかし噺]





にゆれる 心ひとつ お前だけを 追いかけているよ
おいでここへ 僕のそばに もえる様な 口づけを あげる
長い夜を  飛び越えてみたい
広島 だけに この愛を誓う
重ねたうでの ぬくもりにとまどう 二人
       (松山千春の「長い夜」をお借りして)




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去年はね、ものすごくつらいものがあったんだ。
地元の日ハムは、もちろん応援しなければならない。
それが道民の証しなのさ、いや、ファンでなきゃドームに招待されないから。

ペナント2枚を擁する日ハムも、現在は最下位から猛追されている。
不甲斐ないけれど、パリーグと日本一のペナントは持ってるぜ。
でもね、オレ、根っからのカープファンもどき、なのさ。






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1979年、古葉竹識監督、江夏豊、近鉄を倒し初の日本一。
この時は嬉しくて、バイト先の印刷用カメラで記念ハガキを作った。
今年は、道民ながら、気兼ねなく広島を応援し、広島風のお好み焼きを食べる。

ズルイと言えばズルイけど、それがどうした。
元はと言えば、広島県民じゃけぇ、わしは。
でも、最後まで日ハムは応援するよ、来年に向けて。




ファイト!










ファイト!(129)  コメント(8) 

追憶と腰痛   [むかし噺]





いつかなんてありはしない。
誰がいつかなんて言葉を作ったんだ。
先延ばしして誤魔化してるだけじゃないか。

・・・なんて、福山雅治が「福のラジオ」で言っていた。



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いつか
この言葉の空振りを思い 目頭が熱くなる
まいったな


少しばかり母の写真を掘り起こしている
1994年12月16日(金) 函館
三女が生まれて 母が手伝いに来てくれていた
カニの好きな母だった
もちろんかぶりついて食べたのは笑顔満載だった




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シンザンが好きで まだ放牧されていた頃 会いに行った
1985年9月15日(日) 浦河
シンボリルドルフも好きだったが シンザンは別格だ
午年の母もシンザンのことはよく知っていた
戦後初の三冠馬シンザン 妻と一緒に会いに行った




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ギックリ腰もどきになっている。
困ったなと思うのだが、一昨日をピークにまだ痛む。
家の中の手摺りを頼りに、伝い歩きをしている。

ピーク時には這っていたが、どうしたものか。
長い時間イスに座っていると、取り返しのつかないような痛さで立ち上がれない。
このまま寝たきりになることはないと思うが、ちょっと真剣に考える。

我らの整骨院も、土曜、日曜とお休み。
もう一日、西洋風に静養しようと思う。
Pain, pain, go away!

何も激しく生きてはいないのに、こんな風な痛みに選ばれたのは、老い?
それとも、祟り?
やっぱりこのままでは運動不足なんだろうな。




ファイト!











ファイト!(125)  コメント(16) 

ドンちゃんと居た時代   [むかし噺]




店の前でご主人を待つ犬を見て思った。
おい、太りすぎだぞって。


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白い犬を見るたびに、ドンちゃんを思い出す。
でも、ドンちゃんはエレガントだったんだぞ。
久々に、ドンちゃんのビデオ見ようかと、妻を誘った。
30分以上かけて見た物は、風呂に入り、ご飯を食べるだけのもの。



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(1989年1月/函館へ引っ越し準備のドンちゃん)

32年前のビデオである。
そこには、22歳の三女より少しだけ年上の妻も時折、登場した。
次女よりは確実に年下の「妻」が写っている驚き。
石炭から石油に変えた風呂、あるいはストーブ。
全てが貧しく見えるのだけど、幸せそうな温かさを感じた。



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公宅は2LDKの木造平屋。
冬は、窓にビニール貼りをしても隙間風の入る室内。
嵐の夜には枕元に雪が吹き込んでいることもあった。
夜になると外は、風と星しかない、最果ての地だった。
そんな光景を考えると絶望的なのだが、楽しそうなのが不思議だった。



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(未成年だった頃の今は妻と熱海へ海水浴に)

オレは北海道が好きだったから、それでいいのだが。
どうして妻が、こんな遠くまで来たのか、見ていると悪いことをした気分である。
可哀想にねぇー、悪いヤツに捕まったんだねぇー。
そんなことを言いながら、オレは謝るのである。
妻はただ、今さら謝られてもねぇ、と笑っている。


ビデオの中の自分より、ずっと未来が少なくなってしまった。
それでも、ビデオの中の「女の子」がやっぱり好きなんだな、と思う。
その女の子と、一緒に時間を過ごせたことが、幸せだったんだと思う。
ひどいことをいい、泣かせることの方が多かったんだろうけれど。
何だか、考えちゃったね。



握りこぶしの中にあるように見せた夢を
遠ざかる誰のためにふりかざせばいい

握りこぶしの中にあるように見せた夢を
もう二年 もう十年 忘れすてるまで
          (「歌姫」/中島みゆき)





ファイト!










ラム   [むかし噺]




青山実花 さま
浅瀬でアグネス・ラムの掘り起こし。
いつかというと、昔の写真。
もちろんフイルム写真で、スキャン。



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今は東京ドームになってしまっていますが、むかし後楽園ジャンボ・プールというのがあり、夏が終わればゴルフの打ちっ放しに様変わりします。前身は、競輪場だったわけで、プールにしては無駄な傾斜があります。しかし、美濃部都知事のお陰で、監視員のアルバイトができたのも感謝です。

日赤の救助員の資格を手にし、パンツ1枚で、ひと夏に稼ぎまくりました。 が、驚きは、売り出し中のタレントさんがよく来て、ガイジンなら切り込み隊長で、身辺警護を任されました。アグネス・ラム。

事務室で打ち合わせをし、着替えて貰って、再度打ち合わせ。 その時ついでと言っては何ですが、間髪を入れず、サインちょーだい。低い机に前屈みになって、「Aloha Lum」と、私が脱いだ黄色のT-シャツの胸元に書いてくれました。私はムキムキ状態で彼女の前に座り、ええ匂いするなぁーと思いながら、ビキニ姿の彼女を見ておりました。

好きになっちゃった瞬間です。

当時のオジサンがどう思っていたかは分かりません。でも、バイトの仲間も、後楽園の職員も、みーんな羨ましがっていました。そして、身辺警護に当たり、覗き込んで写すわけにはいきませんから、テキトーに、盗撮させて頂きました。 こういうのって、思い出です。





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でもね、アイドルの栄枯盛衰。 アグネス・ラムには、あの時のままでいてもらう。老いて出てこないで欲しいです。そういう意味で、ミニーちゃん、永遠のアイドルで、元気いっぱいのお婆ちゃんです。やがて年齢は、妖怪の域に達するのでしょうが、元気が良いです。



ファイト!






ドンちゃんのこと   [むかし噺]





知らないと言うことは、損?
時々、そう思うことがある。


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昔、初任校の一日一善クラブで、海辺の掃除をしていたが、捨て犬がカラスに食べられていて、生徒が可愛そうだと言い出した。 そんなん知らんやん、と言うと、野球部の少年が、ボクは将来教師になりたいんだけど、先生がそんなんでいいのか、と言うは易しだ。


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結局、捨て犬を拾ったは良いけれど、面倒を見るのは先生やないけ、可愛そうだと言って、ボクの家では飼えないって言われたと、私を諭した生徒は言う。 なんだかなぁー、拙宅で飼う羽目になり、道北の田舎から、函館まで連れて行くことになった。


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それでも、「首領(どん)仁佐衛門(にざえもん)」と名付け、あとから女の子だと分かり、去勢手術をし、ドンちゃんは家族の一員となった。 道内のあちこちの旅を、「家族」で、ずっと一緒だった。 彼女と過ごした7年は、たくさんの幸せな思い出になっている。 病気で死んだけれど、函館に眠り、心の中には生き続けている。


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ホタテの貝柱を見てドンちゃんを思い出すのは、彼女の好物だったから。

生徒の面倒見が良すぎたので、よく、奥尻から出てきて下宿している生徒の親が、大量に送ってくれたので、何も知らず、こんな高額とは知らず、おいしいね、ドンちゃんも食べる? ワン、てな感じで、一緒に食べたものだ。ずいぶん食べまくったけれど、あいつ、10万円分くらいは軽く食っていた。いま思い出すと、うふふ、なのだ。




ファイト!






猿のお話   [むかし噺]






                愛せよ、
                人生において佳きものは
                それだけである。   (ジョルジュ・サンド)



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          20年ほど前、家族でサンフランシスコを楽しんだ。
          モーテルに泊まって、散歩しまくった。
          その或る日、サンフランシスコ動物園を散策した。


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          十分に歩き疲れるような散歩だった。
          子どもたちが、それぞれに、お気に入りの猿と写した。
          それぞれに、似たものを選んだのだろうか、理由は分からない。


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          三姉妹それぞれが、それぞれに納まった写真だと思っている。
          昔々のお話になったけれど、今でも彼女たちのお猿さんはいる。
          また行きたいねと、いつか、妻が言った。

          もう少し、子どもたちが落ち着いたら、示し合わせて、行きたいものだ。
          すでに三女を肩車する体力はない。
          それどころか、足手まといになるのはきっと、オレ。




ファイト!






猿系列の顔   [むかし噺]






        子育てが趣味じゃないのと同じで、バード・ウォッチングも趣味なんかじゃない。
        それは、人生なんだ。
        そのはかなさに、ずっと惹かれている。              (里のおじさん)



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        ニカウさんに似ていると言われたことがある。
        ブッシュマンだ。
        どうかなと思い、TVで見たら、似ていたので笑った。


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        川谷拓三に似ていると言われたことがある。
        目が縮み始めた頃のことだろうが、似てるかなと思った。
        ネクラな雰囲気も、似ているなと思った。


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        でもいちばん言われたのは、寛平ちゃんにソックリや、である。
        いずれにせよ猿顔なのだが、絶対恩師はこう評した。
        顔面積に比する目面積の小ささがポイントよのぉー。

        いずれの話でも、私の顔はアニマルの風貌であろう。
        新千歳空港の駐車場を使うたびに、通路にあるシュタイフの人形を写す。
        このゴリラは、楽しいのでaru。




ファイト!






あれから22年と1日   [むかし噺]






        あれから22年とテレビでは言い。
        あれとは、1995年(平成7年)1月17日、阪神・淡路大震災のこと。
        成人の日が15日だったころで、その年は日曜と重なり、16日と連休だった。




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        まだ、土曜日も半日授業をしていた頃で、14日、15日とセンター試験だった。
        17日(火)の朝6時少し前に大震災が発生し、激しすぎて、正体は不明だった。
        7時前のテレビでも、ただ点在する火事を空撮映像で送るだけだった。

        あちこちで火の手が上がり、地震と言うより大火事に見えたものだった。
        あの時はまだ函館に住んでいて、1ヶ月前に三女が生まれたばかりだった。
        宝塚のことが気になって仕方がなかったように思う。



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        震災発生の翌々日、木曜には大阪に居た。
        私の自己満足に付き合って、友人がレンタカーを借りて待機していた。
        飲食物を積んで向かったが、なかなか辿り着けなかったことを覚えている。

        いとも簡単に倒れたマンションや、倒壊したビル。
        倒れた電柱などを見ながら、進まない車の中で不安を覚えたものである。
        宝塚で、育ての親の元気な笑顔を見た嬉しさは、今でも忘れない。



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        私は、激甚災害に遭遇もせず、生命財産を奪われたこともない。
        こんなに我が儘に生きており、それだけで大いに感謝である。
        あれから22年、三女も22歳と1ヶ月、風邪を引かなければ、それでイイ。





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          昨日の札幌、最高気温は -0.3℃、最低気温は -7℃。
          今日の予想最高気温は、-1℃、予想最低気温は-8℃。
          これから22年、なさそうだから、今日を生きるのみ。




ファイト!








          

ルーブル   [むかし噺]





絵は眼のためではなく 心のために描くのだ (ドラクロワ)




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          昨日の札幌、最高気温は -1.3℃、最低気温は -3.4℃。
          今日の予想最高気温は、2℃、予想最低気温は-4℃。
          なんだか温かそうな予想気温である。
          できることなら太陽が顔を覗かせてくれると嬉しいのだが。



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        心が晴れないと、元気が出てこない。

        老後が40年もあった徳川慶喜の笑顔の写真を見た。
        BSの歴史番組だが、唯一と言っていいほどの、貴重な笑顔の写真。
        やっぱり笑顔って良いなと思った。

        そう言えば笑顔の乏しい私は、生徒によく怖いと言われていた。




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        BSで 『2時間で回るルーブル美術館』 を見た。
        そう言えば、一昨年の今ごろ、ルーブルの館内を疲れるほど歩いていた。
        事前購入のチケットを持ち、開館前から並んで入り、出たら外は暗かった。

        旅は一日一箇所主義。
        長女の案内で、勝手な行動を織り交ぜながら、館内を歩きたおした。
        本当に主要な物は、ちゃんと鑑賞することはできた。


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        2時間で回るという番組と比べて、一つ見落としがあった。
        ヤン・ファン・エイクの作品 「宰相ニコラ・ロランの聖母子」を見落としていた。
        見てはいるのだが、その背景に描きこまれていた「小さな火事」、見落としていた。
        こういうエピソードをあとで知ると、実に悔しい。 残念。

        次回の楽しみに残したのだと思う。
        また、美術館内の、カフェ アンジェリーナ、行きかけて入っていない。
        次回こそ、ここでモンブランを食べる。
        そんなことを考えると、なんだか生きる気力のようなチカラが湧いてきた。




ファイト!






ぷるん   [むかし噺]





過ぎたるは猶及ばざるが如し   
老いたるは猶及ばざるが如し   




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          昨日の札幌、最高気温は 3.5℃、最低気温は -6.2℃。
          今日の予想最高気温は、0℃、予想最低気温は-3℃。
          今朝の6時のニュースで、不気味な話をしていた。
          「巨大な氷山が南極から分離し漂流し始める可能性がある」、と。




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        二日続けて来ていた樋口さんからのメールは2通とも迷惑申請した。
        ソフトバンクさんも頑張ってくれたのか、3通目は届かないでいる。
        あるいは樋口さん、遺産を私に渡すこともなく終焉を迎えられたのだろうか。
        良かったのかどうかは分からないが、関わりたくなかったからこれで良い。




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        高校時代の樋口さんは思い出の中で、やはりエッチな顔をしている。
        心酔するあるいるさんがイメージを浮かべ、焦点を結んでいた。
        「なんとなくくちもとにしまりのないだらしない雰囲気かも」、と正しい妄想です。
        結局のところMMの路線で、ミッキーではなく、マリリン・モンロー。

        ぶだうのやうにぷるんとしたくちびる
        特徴はくちもとにあり、ぽわ~んとした雰囲気は濃厚だった。
        一緒に生物の補習と追試を受けた頃には、名前は樋口さんに変わっていた。
        生物はオンナ先生だったが、樋口さんは、オトコ先生には確実に好かれていた。

        もしかしたら本当にあの樋口さんだったのかな。
        生物の追試で答えを教えてくれてありがとう。
        そんな感謝の気持ちが肥大化して、遺産をくれるのだったか。
        思い出の中の樋口さんは、しわくちゃにはならず、ぷるんとしたままなのだ。



        今日は、録り溜めた “トランポ ノミクス” の特集を「徹底研究」しようかな。
        大統領になることは決まったのだから、今さら騒ぐのは愚の骨頂。
        録画番組での、マトモな議論を期待する。




ファイト!






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