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もうけもの   [旅]




原点回帰

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稽古とは 一より習ひ 十を知り 十よりかへる もとのその一

稽古というのは、初めて一を習う時と、十まで習い、元の一に戻って再び一を習う時とでは、人の心は全く変わっているもの。十まで習ったから、これでよいと思った人の進歩はそれで止まってしまい、その真意をつかむことはできないとの教え。     (千利休)





鑑賞日和

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北海道立函館美術館で「没後30年 鴨居玲展」を見てきた。
旅先で儲けものだった。
来月からは石川県立美術館、10月からは伊丹市立美術館と巡回展である。
旅先で儲けものだった。
深く、暗く、重い画面に、自らをなぞらえた人物。息苦しくなるほど陰鬱な作品を描いた鴨居玲(1928-1985)は、放浪を重ね、絶望感にとらわれた末に、57歳で自ら命を絶つ。

自殺した年の絵は、「そこに辿り着いてしまった」ことがすぐに分かる絵だった。パターン化した対象と構図は、彼の窮屈な内面がそうさせたのだろうと思う。倒れそうで微妙なバランスを保つ絵には、時に愛嬌があり、しかしながら暗い闇もある。孤独なんだなと思った。


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『酔って候』という作品は、司馬遼太郎の作品名から付けたという。
山内容堂の姿というわけではないが、似た、心の姿勢でもある。
長女は『時計』という作品が気に入ったようだ。無常観と強迫観念を見抜いたのだろうか。
「死神と格闘する自画像」を描き続ける作家と言う人もいるが、その通りだと思う。
旅先で儲けものの「没後30年 鴨居玲展」だった。





懸賞生活

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帰ると次女宛に、宅急便の「不在届け連絡票」が複数枚届いていた。
チチの誕生日用に、新発売のビールを当てたという。
『鶴の恩返し』のように、その舞台裏を覗いてはいけないのかも知れない。
よく当てるなー、と思いつつも、そこには触れないでおく。感謝である。

さーて、9月が来るぞ。   ファイト!




わからない   [考え方]




わからない。

わからないことをそのままにしておくのが気持ち悪いので、調べる。
どうやって調べればいいのか分からないとき、放置している。
放置物件が二つある。




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この人は何をしているのだろうかと思った。
この人がどの人だか分からないので、拡大してみた。








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この人は何をしているのだろうかと思う。
何かと戦っているように見えたが、叫び声は聞かなかったから、そのままにした。








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この草のような木のような、もっこりしたものは何だろうかと思った。
もっこりしたのは何ですかって、おじさんには聞けなかったから黙っていた。
丹念に育てていらっしゃるから、丹念草とでも名付けておく。




いい加減に過ごす日曜日は、北海道マラソンの日。
外出禁止、もしくは、札幌進入禁止の日。
明日は9月に向けた準備の。・・・もちろん、ファイト!




『 翔ぶが如く (十) 』   [司馬遼太郎]




今日は函館でお誕生会をする、と言って飲む。
一昨日誕生日だった男友人と、元祖乙女座会である。


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なかなか読み進められなかったのには、理由がある。
作品の中にある気分と、どうしようもない機構へのもどかしさ、だと思う。
そのことを、司馬氏の9頁にわたる「書き終えて」を読んで、理由が分かった気がしている。

p357
「私ども役人は、明治政府が遺した物と考え方を守ってゆく立場です」
 という意味のことをいわれた私は、日本の政府について薄ぼんやりした考え方しか持っていない。そういう油断の横面を不意になぐられたような気がした。私は、兵隊にとられている間じゅう、日本の国というものについていまなお言いあらわしようのない疑問を持っていたが、敗戦後、戦後社会がやってきたとき、ひどく明るい世界に出たような気がし、敗戦を、結果として革命と同質のものとして理解する気分にとりつかれた。いまでもその気持が変わらないが、よく考えてみると、敗戦でつぶされたのは陸海軍の諸機構と内務省だけであった。追われた官吏も軍人だけで、内務省官吏は官にのこり、他の省はことごとく残された。
 機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら残った。太政官からすこしも変わっていません、というのは、おどろくに値しないほど平凡な事実なのである。





『 翔ぶが如く (十) 』 司馬遼太郎/文春文庫(2002年6月10日 新装第1刷)
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p45
 薩軍は、軍資金で窮迫していた。
 高山手記に、薩軍がいわゆる「西郷札」という不換紙幣を発行しはじめたことに触れている。
「又、新ニ貨幣ヲ製シ、之ヲ布ク。之ヲ西郷札ト云フ」
 紙幣発行の当初から「西郷札」といわれていたことがわかる。あるいは、宮崎町の軍務所が積極的に西郷札という呼称を流布したのかもしれず、おそらくそうであろう。


p50
「薩人は女。長人は銭」
 と、旧幕臣の勝海舟が、この二つの閥の弱点について語ったことがある。
 薩摩の武士教育は、武士としての生死の哲学と勇怯の哲学において世界に比類なくきびしかったが、しかし通気孔をつくるように、女色に対する窓だけは開放して、伝統的に寛容だった。この点、武士的倫理の全般にやかましかった会津の教育とは相違している。
 

p173
「いま何時ごわす」
 桐野がきくと、西郷が時計をもっていなかった。桐野がおどろいてわけをきくと、うしなった、という。桐野はさらに驚き、いまからさがさせます、といったが、西郷は大いに笑って、拾った者にやろう、と言い、執着がなさそうだった。この一言が桐野を昂奮させ、、桐野はさがしにゆこうとした。
 ところがすでに拾った者がいて、それを届けにきた。所有は、その者に帰した。ところが桐野はその者を追っかけて行って、
「それを売ってくれ」としつこく頼み、ついに五十円という大金でもって買いとった。そのことが、右の『大西郷画集』に出ている。


p300
「御免なって賜(た)も」
 というや、別府の刀が白く一閃して西郷の首が地上に落ちた。



司馬氏は「書き終えて」という文章を次のように締めている。
 この作品では、最初から最後まで、西郷自身も気づいていた西郷という虚像が歩いている。それを怖れる側、それをかつぐ側、あるいはそれに希望を託する側など、無数の人間現象が登場するが、主人公は要するに西郷という虚像である。虚像と対立する側や虚像の周辺をしらべてゆくうちに、私自身の中で、大小の驚きが連続した。ついに私自身が驚くために書いているような奇妙な気持さえ持った。書きはじめて四年数ヶ月という永い歳月をついやしたが、その実感はない。驚いているうちについつい終わってしまったというぼう然とした気持の中に、いま居る。       1976(昭和51)年九月/1972年(昭和47年)1月から1976年(昭和51年)9月にかけ、「毎日新聞」朝刊に連載
  [メモ] テロリスト桐野利秋、陰謀家の川路利良、






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昨夜は、もう後戻りの出来ない年になったねと、誕生日イブってことだった。
長女が焼いてくれた「100%PAIN」がおしかった。本場フランス風焼き加減の上出来だった。
ブロッコリーの温スープが、あったかいんだから。

今日は山を二つ越えて、函館にて、男子会+家族交流。

飲んで酔い、来週からリバウンド阻止。 ファイト!





アイスクリン   [勉強]




大阪市営地下鉄 中央線「大阪港」駅が最寄り駅になる海遊館。
すぐ近くに結婚式場があって、甥っ子のために7月の「炎天下」という道を歩いたことがある。
1ブロックごとに喫茶店に入り体を冷やしながら、目的地に辿り着く。
その途上に、涼を取りにくい店があり、「アイスクリン」を売るらしき看板が気になるのだった。

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驚いたのは、高知名物「アイスクリン」だということ。
アイスクリームを日本で最初に味わったのは、勝海舟や福沢諭吉らで、渡米視察(万延元年:1860年)の際にワシントン政府の迎えを受け、船上にてアイスクリームを口にしました。「珍しき物有り 氷をいろいろに染め、物の形を作りこれを出す これを“あいすくりん”という」と、その帰朝報告書に記されています。その後、明治2年横浜馬車道通りで町田房蔵という人が、あいすくりんとして製造販売したのが、日本で最初のアイスクリームといわれています。      (「高知名物 アイスクリン」のHPより)

販売地域は限定的で、ウィキペディアが言うには、「高知県や沖縄県、また、横浜市の一部や倉敷市の美観地区、大阪城公園内などで販売されている」とのこと。シャリシャリ感と薄くサッパリした口当たりは、口が肥えてしまうと物足りなくなり、限定的区域でしか食べられなくなったのだろうか。

「アイスクリン」という呼称は、音便化したためと勝手に解釈していたけれど、初めに、遣米使節団の武士が、そう言って広めてしまったのだから、仕方がない。明治維新の8年前の出来事。食べないかんちゃ、あっさりして後口がえいぞね、という話。





アイスクリンの広まりは感じられない大地、北海道。
すがすがしい景色を見ながら草を食べている牛たちが、濃厚ミルクを産み出している。

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北海道では限られた季節の4ヶ月ほど、行列を見るのがソフトクリームの店。
観光スポットには必ずあるソフトクリームの店。濃厚で旨いのだと思う。
北海道に移り住んで、アイスクリンの普及は見たことがない。


ボンヤリした天気が続いている。
ぼんやり過ごす日々も増えた。・・・ファイト!





もやもやもや   [考え方]




居丈高に威張りちらす必要はない。
さりとて、萎縮して卑屈に、ご機嫌うかがいの外交をする必要はない。
日本が確かに侵略をしたのだろう、しかし知らない世代まで謝罪を強要されるのは筋違い。
私たちは、70年間、平和憲法を守り、世界に貢献しようとしているではないか。

韓国や中国の、卑しい品性丸出しの「言いがかり」に沈黙するマスコミも不埒。
昨日の、フランス国際放送RFIの記事を読んで、そうだよなと思った。
遠い国が記事としてマトモなことを書き、捏造の大朝日新聞は触れようともしない。

あまりにもマトモ過ぎるけれど、記事を全文貼り付ける。



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富良野 六花亭にて


8月26日(水)7時21分 配信**********
 フランス国際放送、RFIはこのほど、運営するニュースサイト(中国語版)で、中国が歴史問題で日本に毎年謝罪を迫るのは根拠がないなどの主張を紹介する記事を掲載した。日本が莫大(ばくだい)なODAなどで中国を支援してきたことにも触れた。

 記事は、複数の中国人が示した意見を紹介する形で書かれている。まず日本が戦争行為を反省し、永遠の不戦の誓いをしていることは「だれでも知っている」と指摘。一方で、中国人と韓国人が毎日のように「日本の侵略と植民の歴史」を唱えているのは「見劣りがする」と断じた。

 謝罪については、田中角栄元首相が国交正常化のために訪中した際にすでに、「深々と頭を下げた」と指摘。日本は「贖罪のための賠償もした」として、ODAなどによる巨額の対中経済援助を挙げた。

 記事は続けて今の平和主義の日本が、軍拡主義の中国に服従することはない。民主主義の日本が権威主義の中国に服従することはない。国際主義の日本が民族主義の中国に服従することはないと論じた。

 戦争については、人類の歴史で「日常茶飯事」だったと主張。侵略行為の認定も勝利国によるもので、敗戦国は領土喪失、賠償、一定期間の占領、戦争犯罪者の裁判などが強いられるが、「これらが終了すれば、謝罪や清算はすべて完結したことになる」と論じた。

 さらにドイツやイタリアも侵略国であり敗戦国だが、「何度も繰り返して相手国に謝罪するのは見たことがない」、「国際法でもそんなことは定められていない。中国以外の世界中の第二次世界大戦の“被害国”は、そんなことをしない」と論じた。
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FURANO MARCHE


◆解説◆**********
 中国では「ドイツは戦争についてきちんと謝罪」が“常識”になっている。しかし、中国でよく例となるワルシャワにおけるブラント首相(1970年当時)の謝罪も、ユダヤ人の迫害に対するもので、ポーランド侵攻を含む戦争発動に対するものではない。

 1985年の終戦40周年式典でのフォン・ヴァイツゼッカー大統領の演説では「われわれ全員が過去からの帰結にかかわりあっており、過去に対する責任を負わされている」と述べたが、「反省」や「謝罪」の言葉はなかった。
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アンパンマンショップ富良野 麓郷


9月3日から遠ざかろうと思う。
中国が間違った卑しい宣伝をする日となるだろうし、追随する韓国もロシアも、たけだけしい。
全くバランスを欠いて立場を「わたくし」する国連事務総長も参加する。
対日戦勝記念日、そこで軍事パレードの挑発。






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アンパンマンショップ富良野 麓郷


自分の子どもは自分で守る。親の責任。
自分の国は自分で守る。専守防衛。
マモトモな「世界(世間)」を味方につける。

傾き始めた、世界の胃袋を持つ巨象が、いま倒れようとしている。
沈黙を破る大きなクジラが泳ぎ始める。日はまた昇るのか。 ファイト!





実感と記憶   [旅]




青い池で、娘の言う既視感の実体、それはMacの壁紙だったようだ。


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 Macの中に元々存在する壁紙の一つが「青い池」の写真。私は初期設定の壁紙をすぐ写真に変えてしまうので、気づきませんでした。しかし、友人などでMacを持っている人の中にこの「青い池」の壁紙を使用している人がいて、見覚えがありました。何度も見たわけではないのに、記憶しているというのは画像のインパクトが強かったということなのでしょうか。
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列車が通る、箱は2両。
寂しく映るのは夏の終わり、のどかに映るのは旅の始まり。

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仕事をする人は、いつでも寡黙。

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朝はすでに秋。


ファイト!




10年ひと昔   [真イカ]




10年も前の話。
次女が、競泳国体少年Bの北海道代表に選ばれたとき、チチは一人で舞い上がっていた。
ふるいなー。懐かしいなぁ。あっという間だった。

競泳での競技生活に終止符を打とうとしている次女、10年連続で代表に選ばれることが出来た。
おそらく、こんなにしぶとく、北海道で代表を務めた夏のアスリートは、少ないと思う。
「10年連続」は新聞にも載らない小さな北海道記録だけど、娘を誇らしく思うのだ。
9月には和歌山へ、有終の美を見届けに行こうと思っている。


初めての国体は兵庫県だった。
10月、開会式にも参加し、NHKで流された映像に、小さく映った娘を発見して舞い上がった。
いつかは終わりが来ることなど、考える余裕は全くなかった。


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2006年10月 (中3)

与えられた選手団ユニフォームや、チーム・ジャージ、チーム水着、着せ替え人形してチチ喜ぶ。
親バカの始まりだったのかも知れない。
少年B、中学3年と高校1年生。中3で、無名の娘が選ばれたのは先見の明と、発掘者に感謝。




・第61回  2006年 兵庫県   のじぎく兵庫国体
・第62回  2007年 秋田県   秋田わか杉国体
・第63回  2008年 大分県   チャレンジ!おおいた国体
・第64回  2009年 新潟県   トキめき新潟国体
・第65回  2010年 千葉県   ゆめ半島千葉国体
・第66回  2011年 山口県   おいでませ!山口国体
・第67回  2012年 岐阜県   ぎふ清流国体
・第68回  2013年 東京都   スポーツ祭東京2013
・第69回  2014年 長崎県   長崎がんばらんば国体
・第70回  2015年 和歌山県  紀の国わかやま国体




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2009年9月 (高3)

『第64回 2009年 トキめき新潟国体』では、自由形少年A50mで3位、100mで4位になった。
満員の会場で通路に座り、隣のおじさんに「あの娘うちの子」と、余計な興奮を漏らした。


私もオリンピックには行きたかった。もう目標ではなく、願望などとしか言えないレベルだけれど。あの時もっと…と言い出したらキリがない。もし、と考えることもあるけれど、もし、のない世界に生きているから仕方無いと思う。私は、ここまで、この歳、こんなタイムになってまでも、好き放題やらせてもらっていることに感謝しています。あと数ヶ月。その後はどうなるのかもどうするかもわからないけれど、パパの言う通り、フレームを決めると次に進める。就職したら楽ではないけれど、楽しみ。それを決めると、就職前にやりたいこと、やっておきたいことも色々と出てくる。世界水泳帰りで疲れた皆さんでも相手にしてもらえないし、決勝に残る、なんて最初の国体の時ぐらい遠い目標だと思う。だから、きっと最後であろう国体、理想と現実は程遠いけれど、私の今持っている力を出し切れるようにしたいと思います。決して速くはないけれど、最後まで。




チチも初心に返って応援するのだ。

勝つことではなく、全力を出し切ることを応援するのだ。

純粋に、我が子だけを見て我が子だけを応援するのだ。

親なんだから。

ファイト!



夏の終わりに   [味]




夏の終わりに白まつり


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夏の終わりに友人と、白ワインを6種類と赤を2種類、楽しんだ。
例によって、若奥様(次女)の手料理である。
しかしいつも聞いてばかりするから、見れば分かるメニューが用意された。むむむぅ。


DSC05398.JPG 私が用意した白ワインを友人は喜んでくれた。


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飛びついて食べてしまったのでテリーヌは、スプーン2杯分、減っている。
タコじゃがは、おもしろい取り合わせだった。


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鶏肉は白ワインに合うように味付けされていた。
トマトのヨーグルトケーキも、「えっ」と思ったが、白に合った。
いつものように、6時間堪能した。
ママさんバスケットの大会から妻が帰った夕方には、酔っ払っているオジサンだった。

料理三昧の若奥様と妻に感謝、話し相手の長女に感謝、付き合ってくれる友人に感謝。
夏は終わった。今月は函館への旅を残すのみ。こまごまと楽しんだ夏も終わりを告げる。


ファイト!




夏の終わり   [日常]




どさんこワイド効果を侮るなかれ

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STV(札幌テレビ)の情報番組「どさんこワイド」で取り上げられた安売り情報。
野菜や果物が物凄く安かったので、長女と買い出しに行った。
朝から物凄い行列で、車はこのビルの周囲が大渋滞であったし、混雑ぶりの大繁盛。

気の弱い私たちは並ぶことなく裏口から入り、トマトを箱買いしたのだった。
正面は長蛇の列だったけれど、裏側の「入り口」と書いた小さなドアに列はなかった。
テレビで取り上げるだけで、これだけの大混雑が出来るとは、チカラなんだなと思った。






冗談じゃない赤ワイン

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帰路、むかしの勤務校前にある大型スーパーに立ち寄った。
次女が勧めるワインを買うために行ったのだけど、意表を突くワインを見てしまった。
ちょうど、土曜の夜はお好み焼きだったし、買った。笑うしかない。






夏草や兵どもが夢の跡

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むかしの勤務校ちかくにある公宅、ずいぶん荒れているねと長女も言う。
札幌に転勤し10年近く住んだのだが、我々が住んでいた頃は、家族で草刈りをしたものだ。
夏の終わりにこういう光景を見ると、寂しく思えてしまうのだった。






この夏マイブームのアイスを愛す

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料理人の若奥様が愛好するアイスをこっそり食べたら、これがまた美味。
盗み食いがばれないように、ドン・キホーテで、大量購入して補充した。
倍返しで冷凍冷蔵庫に入れておいたので、家族揃ってこれを食べている。


ファイト!




うろうろ明日のために   [日常]




無知が生んだ損 トロロアオイ喪失


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花壇C情報
朝に咲いて夕方にしぼみ、夜になると地面に落ちる。
儚くも珍しいものを食べ損ねたのは、もう一つ咲いてからと言う欲だったか。

トロロアオイは、オクラに似た花を咲かせることから花オクラとも呼ばれる。この植物から採取される粘液はネリと呼ばれ、和紙作りのほか、蒲鉾や蕎麦のつなぎ、漢方薬の成形などに利用される。同属植物であるオクラと異なり、実は不味で食用に適さないが、紙漉きのためにトロロアオイを栽培する地域では、ネリには不要な花を食用に供することもある。花野菜(エディブル・フラワー)として家庭菜園などで栽培されることもあり、花弁を生のままサラダにしたり、天婦羅、湯がいて三杯酢などで酢の物として食される。特有のぬめりがあり美味であるが、一日花であるため市場にはほとんど流通しない。花にはフラボノイドが含まれる。






24条界隈は40年前の歌舞伎町の匂いがする


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アジフライ探索隊長は迷子のおじさんと化して、あのアジフライを探して発狂寸前。
「くいしんぼ田ざわ」へ家族4人で行った。
北区24条の交差点近くにあるビルの階段は急傾斜だったが、2階のような場所に店はある。
2階と言うには中途半端な階にあり、予想通り窮屈な店内だった。

ウスターソースを所望すると、最初はないと言い張るが、結局は出てきたブルドッグ。
タルタルソースに無茶されていない部分にウスターをかけ、おおおおおー、美味。
アジフライにタルタルソースをかけてしまえば別物にはなるが、それはそれでよし。
アジフライ探索活動はさらに続くが、しばしの休止と出来る味だった。





試写会を当てるのは長女の役目

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必勝法を使って懸賞生活映画編の長女が、東野圭吾原作の映画試写会を当てた。
行きたい! と思ってラッキーと言うと、長女は、いいよ友だちと食事に行くからと言う。
ペア券だから妻と私と考えたが、そもそも原作を絶賛した長女だから、奪えなかった。
パパはまだ原作読んでないし、と当選者の長女と妻に道を譲った。
この辺はオレって心が広いなぁと思ったり、譲り合う家族って素敵と思ったりする。





たとえば芥川賞作品は2つとも掲載

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直木賞は「オール讀物」に掲載される。
好きなのは、賞の選評も掲載されることである。
九月特別号、私にとっての記事ベスト3

① 東芝「不正の連鎖」を招いた真犯人
 おそらくこれが実体だったんだろうと思うし、本来なら倒産して当たり前の会社が生きながらえているのは、官との癒着に尽きる。そもそも東芝トップから3代、続けて経団連の副会長を出し、会長を狙うという、まさに私欲のために粉飾決算を「チャレンジ」と称し、圧力をかけ続けた。とんでもない話で、市場から退場して貰いたいのだが、物凄い勢いで、生きながらえる方策をとる。東芝を辞めても、超大企業のトップに就任する構図はおそろしい。

② ヨーロッパは三度自殺する
 エマニュエル・トッドはフランスの歴史人口学者で、ソ連崩壊、米国衰退、「アラブの春」をいち早く見抜いたというお墨が付いている。読んでいると、安心理論は消えていき、利益確定で株を売っておこうかなと思っていたら、連日、物凄い勢いで世界の株価が下がり始めた。我が家でも一部売り抜けはしたが、再び、塩漬けの時代が来るのだろうか。

③ ニトリ社長「夫婦の履歴書」
 今年4月、日経に連載された「私の履歴書」が好評だったことで(実際オモシロイと思えた)、今回、夫婦での対談が成立したようである。あちらに書かれていたことを、奥様の視点で突いていくから興味深く面白かった。奥様の方が上だと思った。


迷子のオジサン、まずは喰うため、ファイト!